南西アフリカ事件④
そんなこんなで南西アフリカは、南アフリカの委任統治領としてあったんですけど、第二次大戦が始まって、終わりました。
国際連盟は、第一次大戦のような悲惨な戦争を起こさないために作られたんでした。でも、起こっちゃいました。失敗です。
そして戦争防止の再チャレンジとして、またしてもアメリカの主導によって、国際連合(the United Nations)がつくられました。
第一次大戦→国際連「盟」
第二次大戦→国際連「合」
というわけです。
ここで、国際連盟のもとで行われていた委任統治がどうなっちゃうの〜〜!?
ということが問題になります。
戦後、国際連合のもとでは新たに信託統治という制度がつくられました。
委任統治から信託統治になって何が変わったのか。ぶっちゃけ大して変わりません。まあ多少植民地ピーポーの地位について考慮が払われてます。以前は植民地ピーポーの独立とか人権は触れられてませんでした。
戦後の信託統治では、独立が目標に掲げられるようになりました。でもすぐに独立は許しません。
そんな感じで、戦前の委任統治と戦後の信託統治はぶっちゃけ大して変わらんかもしれないんですが。
問題なのは、
戦前に国際連盟のもとで南西アフリカを委任統治していた南アフリカ🇿🇦が、
戦後国際連合が発足したら、新しい信託統治制度に移行する義務があるのかです。
国際連盟と国際連合は、実質的に継承されてるとしても、一応別もんなので。