メディア論

図書館で借りてきた『メディアリテラシーとデモクラシー   積極的公正中立主義の時代』(渡辺武達)を読んでいる。

 

しかし良い本ではなかった。メディア学者なのになんでこんなに文章下手なんだ?と疑問の連続。加えて、法律にはあまり通じていないようなのに安易に法律論を持って来すぎ。

 

たとえば在特会ヘイトスピーチ事件に関連して著者は

19世紀初頭のノルウェー憲法が、表現の自由の制約として名誉毀損などの制約事由を挙げていることを根拠に、

「『自由な言論の中から最後は正しい言論に落ち着く』というリバタリアニズムや思想の自由市場論はすでに法理論として200年も前に否定されている」

というが、それは法理論なのか?なぜ一国の憲法条項の存在が、リバタリアニズムのテーゼを否定する根拠となるのか??

 

それから著者はタイトルにもある、積極的公正中立主義という概念を30年前から提唱しているらしい。

 

著者によれば、言論の自由の統制スタイルを四類型に分けられる。

①思想の自由市場型(米独仏日など)

②国家統制型(中ロ)

③社会発展優位型(シンガポール)

④宗教・文化優先型(サウジアラビア)

 

そしてこれらを乗り越える、第五の類型として著者は「積極的公正中立主義」を提唱しているが、疑問。

 

積極的公正中立主義では、メディアが市民主権を尊重して情報を提供し、市民は覚醒して熟慮して社会を運営するらしい。謎。

 

上記4類型が分析的な類型なのに対し、積極的公正中立主義は規範的な理念型であり、同じ土俵に並べるものでないように思う。

 

著者は「思想の自由市場論」をノルウェー憲法を引き合いに否定していたが、北欧諸国がこの4類型でどこに位置するのかも書いてないし。

日本は思想の自由市場型らしいが、表現の自由だって公共の福祉(12,13条)の制約に服する。

アメリカも、憲法では修正1条で、表現の自由を制約する法律を禁止しているのみだが、コモンロー圏なので当然判例法によって表現の自由も制約される。

 

著者はどうやら事実に関する政治理論と規制規範に関する法理論を混同している節がある。

 

しかも積極的公正中立主義の内容も普通に憲法21条の表現の自由の通説的な解釈(自己統治)に加えてハーバーマス以来の熟議民主主義を言っているだけだし、新たな概念として立てる意味が無い。

積極的公正中立主義という概念を立てるのであれば、まず公正と中立の概念を区別して検討し、それらを積極的に両立させるような表現の自由のガバナンスとして概念を提示しなければならない。そしてそのような表現の自由ガバナンスが可能なのか、可能であればどのような方法論で可能なのかを述べるべきだろう。

 

著者によれば積極的公正中立主義は、「国家はグローバル化にともなって世界の地方自治体のようになる」という市民主権の思想が背景にあるらしい。

 

2006年の論考なのでEUといった地域共同体に期待しているのはわかるが、楽観的すぎる。著者の提示する根本概念である積極的公正中立主義の思想的背景に市民主権があるのだったら、市民主権についても検討が必要だろう。

 

市民主権と安易に言うけれど、まず主権概念について考えて定義していかないと、積極的公正中立主義が有意義な概念になることは無いだろうと思う。