サミットについて2

リベラリズムの視点では、国際レジームはみんなが得するから形成される。

リベラリズムのうち、制度に注目するネオリベラリズムの立場では、覇権国がなくても国際レジームは存続すると考える。

(覇権安定論では覇権国が役目を果たさなくなると国際レジームは消滅すると考える)

 

ネオリベラリズムは、国際レジームの存続と効果に着目する。

国際レジームが形成されたきっかけはみんなが共通の利益を守るために作られたかもしれないし、覇権国によって作られたかもしれない。ただ、覇権国がいなくなっても皆がその国際レジームに共通の利益を見出す限り、その国際レジームは存続する。

 

そして、もっとも重要なのは国際レジームの効果だ。覇権安定論では、国際レジームはバランスオブパワーの単なる焼き移しにすぎず、各国の政策をより協調的に変更する効果はないと考えた。

 

対してネオリベラリズムでは、国際レジームは協調促進効果があると考える。

これは、コースの定理に基づく。(コヘインなど)

国際関係は国内政治と異なり中央政府が存在しないのが特徴だが、中央政府の介入がなくても当事者の取引によって解決が可能な問題もある。

それぞれが問題に対する対処法を好き勝手に決めてしまうと、他国が思わぬとばっちりを受けたりする。(負の外部性)

コースの定理は、「枠組みを与え、情報の流通を促進し、取引費用を削減すること」によって当事者間取引による問題解決が可能となるというものだ。

 

また、国際レジームの協調促進効果を、コースの定理でなく、囚人のジレンマの解決という理由で裏付ける学派もある。(ラパポート、アクセルロッドら)

 

サミットについては、リベラリズムの視点の方が適合しているように思える。

覇権国アメリカの積極的なコスト支払いやリーダーシップは見受けられないからだ。

 

サミットは当初、経済・エネルギー政策の協調を目指して始まったが、イシューは経済から拡大してきた。

1975年サミット開始当初は東西の緊張は緩和していたが(デタント)、

1979年ソ連アフガニスタン侵攻で新冷戦となり、

1989年マルタ会談で冷戦が終結グローバル化が問題となった。