自分もかわりゆく
ときどき自分についてエゴサしたりする。セキュリティ的な意味で。
そうしていると、ときどき思わぬ所で自分の発言、投稿や、写真まで引用されていて驚く。
何気なく語るツイートが、独り言が、いつの間にやら世界中に発信されている。インターネットを通じて発言しているだけのつもりが、インターネットに対して発信しているのだ、本当は。
この文章も、そうだ。
誰だって見ることができるし、それはこの時代においては、誰だって気軽にコピペして転載できることを意味する。
そう感じて少しぞっとした。そういう時代だ。
Twitterは今はもうやっていない。始めたのは周りでもわりと早くて、ゼロ年代が終わるころだった。
久しぶりにエゴサして、深夜にだらだらと自分の昔のツイートを遡ってみた。
もう7年も前の私がつぶやいていた。時間の早さが空恐ろしくなる。「なにも変わらない」と思うけれど、やっぱり変わっている。今の私とは違う。
今の私から見ると、7年前の私は、考えなしで、格好付けで、馬鹿だ。でも、厭わしいとは感じない。
自分の進歩はなかなか感じることができないが、7年も積もればさすがに分かる。私は賢くなった。その進歩が年月に見合ったものかは分からないけれど。