飯館村の村長選挙
昨日NHKの「ドキュメント72時間」という番組を見ました。
原発事故で「帰宅困難区域」になってる福島県の飯館村の村長選挙を取り上げてました。
飯館村の村民はみんな周辺地域に散らばってるので、投票箱を車にのせて、避難先を回って投票を集めてました。
放射能の除染がある程度完了したことを踏まえて来年にも村に帰ることを訴える現職村長と、
実際に除染が行われたのは田畑など一部にとどまるので安全は不十分で、帰村などまだ出来ないと訴える新人の争いでした。
僅差で早期帰村を訴える現職が勝ちました。
どちらの主張も共感できます。
もちろんまだ放射能は不安です。
でも、このままずっと避難を続けていたら、生まれ故郷の村が永久に消滅してしまうかもしれないという危機感もまた、切実です。
飯館村はキノコが特産品らしく、一時帰宅?したときに採って帰ってきたというシイタケの匂いをくんくん嗅いで故郷を偲んでるおばあちゃんがいました。結構そういう人はいるみたいです。放射線計で測るとめっちゃ高いらしいですが。
「俺なんか我慢できずに食っちまったよ!」というおじいさんを、「大量に食べなければ大丈夫だよ」と他のおじいさんが慰めてました。
泣けます。
故郷を失って、各自避難してるのに地方公共団体である村がまだ機能していて、選挙がある。
どういう仕組みになってるんでしょう。
仙台から投票にきた飯館村民もいましたが、住民票とかどうなってるんでしょうか?
「選挙にはどうしても来たかった」といって他県から選挙に来る人や、「子供には絶対投票させる」と18歳の息子を投票所まで連れてくる人など、村民はみな選挙への意識が高いです。
自分の投票いかんでは故郷が消滅するので、切実さが違うのは当然です。政治って大事なんだなと改めて思いました。
投票率は村民が散らばっていてもなお70パーセントで、ただそれは震災以後最低らしいです。
現代日本に、生まれ故郷を失って各地に散らばらざるをえないという状況が今もある。ディアスポラです。なんだか信じがたいですが、現実の日本の話です。
現代社会の基礎をなす電力ですが、果たして大多数の国民の経済的要請は、一部の人たちの「故郷で暮らしたい」という重要な人権の侵害を正当化することができるでしょうか?
番組で飯館村の人がいってました。今は中央はオリンピックの話ばかりで、震災から5年が経ち自分たちが忘れられてきている気がすると。
今も故郷を追われる人がいることを忘れないようにしたいです。
寒いからエアコンと電気毛布つけてるけど。もう12月ですね。