ウクライナ正教会が独立
あらまし
【ウクライナ正教会の独立を承認する文書に署名するコンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス一世。右後ろに立つのが新たなウクライナ正教会の総主教となったエピファニウス一世】
冷戦を経てソ連から独立したウクライナは、ロシアによるクリミア併合以来、ロシアと一層激しく対立している状況です。そんな中、ウクライナの正教会がロシア正教会の支配下から独立しました。正教会の最高権威である「コンスタンティノープル総主教」が、ウクライナ正教会のモスクワ総主教からの独立を承認したのです。反発したモスクワ総主教はコンスタンティノープル総主教との関係断絶を発表し、正教会が分裂状態に陥ってしまいました。
【モスクワ総主教庁の首座聖堂、救世主ハリストス大聖堂】
正教会とは
西ローマ帝国の流れを受け継ぐローマカトリックに対し、正教会は東ローマ帝国の流れを受け継いでいます。ヨーロッパのほぼ全域を治めた古代ローマ帝国は95年に東ローマ帝国・西ローマ帝国に分裂しました。その結果、東西の交流が途絶えたため、キリスト教の教義が東西でどんどんと異なったものとなり、キリスト教会は東西に分裂しました。西のキリスト教ががカトリック(普遍の意)と呼ばれ、東のものがオーソドックス(正統の意)、日本語では正教会と呼ばれます。正教会の最高権威者であるコンスタンティノープル総主教とローマ教皇は、互いの権威をめぐって対立し、1054年にはお互いを破門しあいます。(東西教会の分裂、大シスマ)
【かつてコンスタンティノープル総主教座のおかれたアヤソフィア大聖堂】
カトリックは古代から現代に至るまで、ヴァチカンの教皇を頂点とした中央集権的なネットワークを世界中に張り巡らせています。他方、正教会では権力が分散しています。
正教会には、対等な9人の総主教が存在します。
まず古代の五大総主教区を引き継いだ4人のの総主教。
1.コンスタンティノープル総主教(🇹🇷トルコ、イスタンブール)
2.アレクサンドリア総主教(🇪🇬エジプト)
3.アンティオキア総主教(🇹🇷トルコ)
ただしアンティオキア総主教は名目上アンティオキアとなっていますが、実際にはシリア🇸🇾のダマスクスに所在しています。
なお、古代五大総主教区のうち、ローマ総主教のみ正教会とは別れてローマカトリックを組織しました。
次に後代になって成立した総主教が5人。
1.ブルガリア総主教🇧🇬
2.ジョージア総主教🇬🇪
3.セルビア総主教🇷🇸
4.モスクワ総主教🇷🇺
5.ルーマニア総主教🇷🇴
以上9人の総主教が正教会で同等の権力を持ちます。
ただし、コンスタンティノープル総主教は「全地総主教」と呼ばれ、対等な中でも最も高い権威を持ち、"first among equals"と呼ばれます。
ちなみに日本正教会は東京御茶ノ水のニコライ堂に本部がありますが、自治的に運営されているものの、規模が小さいためロシア正教会やポーランド正教会などと違い、完全に独立した教会ではありません。日本正教会の長である府主教は、モスクワ総主教の承認が必要です。
【現在コンスタンティノープル総主教座の入る聖ゲオルギオス大聖堂】
ウクライナ正教会とは
2014年にロシアがウクライナのクリミア地域を強硬的に併合して以来、ウクライナはロシアと非常に激しい対立関係にあります。そのウクライナにおける正教会の本部は首都キエフにあります。
【新たにウクライナ正教会のキエフ総主教座の入る聖ムィハイール黄金ドーム修道院】
ウクライナの正教会といってもピンと来ませんが、その歴史はキエフ大公国にさかのぼります。10世紀にキエフ大公国の皇帝ウラジーミル1世が、ビザンツ皇帝の娘アンナを妃に迎えました。さらに自ら正教に改宗し、988年に正教会を国教と定めています。キエフはモスクワよりずっと早く、スラブ地域で一番初めにキリスト教(正教会)を受け入れているのです。その後キエフ大公国が衰退し、新興のモスクワ大公国がウクライナ地域を併合します。14世紀に「キエフおよび全ルーシの府主教座」がモスクワに移転し、モスクワが「モスクワおよび全ルーシの府主教座」を名乗りました。キエフの歴史を考えれば、新参のモスクワの支配下に置かれたくない気持ちもわかります。
【ウクライナ正教会独立に向けた聖職者会議へ集まった正教徒の人々】
さて、今回コンスタンティノープルから認可を受けたことで、ウクライナ正教会は公式にモスクワと対等な独立正教会となりました。ウクライナは人口4500万を抱える東欧の大国です。国外にいるウクライナ人も含め、ウクライナ正教会は4000万人の信者を有しており、実はこれはロシア正教会に次ぐ勢力です。以前からウクライナの正教徒の大部分はモスクワのコントロール下になかったものの、数字上は独立によりロシア正教会は信者全体の3割とも言われる4000万人もの信者を失います。これによりロシア正教会の権威・影響力の低下は避けられないでしょう。
【独立を認めないよう説得するために訪れたモスクワ総主教キリル一世(左)とコンスタンティノープル総主教ヴァルソロメウス一世。】
1991年にウクライナはソ連から独立しました。その後モスクワからの宗教的独立を目指し、モスクワ総主教庁から独立した正教会がウクライナで組織されました。当然ながら、モスクワ総主教はこれを承認していません。また、モスクワ総主教庁の勢力もウクライナに残存しています。そのため、ウクライナ国内に総主教が複数存在する状態となっています。
これまでウクライナ正教会は、独立した正教会としての承認をコンスタンティノープル総主教に求めてきましたが、それは最大勢力であるロシア正教会・モスクワ総主教との軋轢を生むため、承認は得られていませんでした。そのため、今年まで教会法において非合法な正教会として存在していました。ところが昨年、事態は動きます。ウクライナ国会の決議を経て同国のポロシェンコ大統領が、コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメウス一世に対し、ウクライナ正教会の独立を求めた嘆願書を公式に送りました。これまでのモスクワを尊重した判断とは異なり、なぜ今回コンスタンティノープル総主教が独立を認めたのか。一説には、ロシア正教会によるバルカン諸国への影響力拡大を食い止めるためといわれていますが、実際のところは不明です。
コンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会の独立を承認した、そのやり方も大きな問題です。正教会の最高権威である全地総主教が統べるコンスタンティノープル総主教庁は、ウクライナのキエフ大主教の任命権をモスクワ総主教に与えた17世紀の決定を無効であったと宣言することで、独立系のキエフ総主教庁を承認しました。これによって、400年にわたるモスクワ総主教によるウクライナ支配がすべて違法だったこととなってしまいます。さらにコンスタンティノープルは、依然モスクワ総主教の庇護下に残っているウクライナ正教会に大しても、今回独立教会となったウクライナ正教会へ合流することを促しています。
【新・ウクライナ正教会の長となったキエフ総主教エピファニウス一世】
これに対しモスクワ総主教庁は猛反発。ロシア正教会はコンスタンティノープル総主教庁から独立した教会です。ロシア正教会の内部組織であるウクライナ正教会の独立を承認する権限は、いかに全地総主教といえどありません。だからこそ17世紀の決定を遡及的に無効とするちゃぶ台返しを行ったわけです。なんとモスクワ総主教庁は、コンスタンティノープル総主教庁との関係を断絶。それに伴い、モスクワ総主教座のもとにある自治正教会である日本正教会も、コンスタンティノープル総主教庁との関係断絶を発表するにいたっています。正教会の分裂に多くの正教徒の方は心を痛めていることでしょう。
【神戸ハリストス正教会】
奈良、大神神社
初めて大神神社(おおみわ じんじゃ)にお参りした。
大神神社最寄りの三輪駅は、奈良駅からJR桜井線で8駅南へ下ったところにある。
街を後にし、車窓はどんどん神さびた気色を増していく。ビルやマンションなど一つもなく、歴史を感じさせる土蔵がそこここに見える。
大和三山へと連なる山々は、ますます迫力を増していく。その先に日本最古と言われる大神神社の御神体、三輪山が鎮まる。
文明を、古代の力が圧倒しているように感じた。
このあたりは山がちだから晴天は少ないのだろうか、立ち込める雲は神威を感じさせる。
桜井線では乗降客が少ないこともあり、乗り降りできる車両は先頭車両に限られている。
それに気がつかなかった乗客が発車間際に出られる車両へ駆けていっていた。
駅を降りた街並みは、私の知っている東京や大阪や神戸などと同じ日本とは思えないような雰囲気だった。
時が完全に昭和のまま止まっている。NHK Worldで外国人レポーターが歩いていそうだなと思った。
参道を歩んでいくと、大神神社の社殿が見えてきた。その背後には、御神体の三輪山。
私がこれまでに参った神社の数々に比べても、圧倒される威厳があった。出雲大社もこのような古代の空気を纏っているのだろうかと考える。
大物主は、出雲大社の祭神として有名な大国主(オオクニヌシ)の、幸魂・奇魂(さきたま・くにたま)とされる神たが、まぁ、分身のようなものだ。
出雲の神である大国主は、天界から派遣されてきた少彦名(すくなびこな)をブレーンに、国土建設していた。
少彦名は体こそ小さいが、知恵者であり医薬の神としてもよく祀られている。
ある時大国主が、この少彦名に「お前はちっちゃいなぁ」言ってしまった。
気にしていたのか拗ねてしまった少彦名は、死後永遠の世界である常世(とこよ)に帰ってしまった。
1人では国づくりをできない大国主は困ってしまった。「これからどうやって国づくりしよう…」と嘆いていると、大国主の前に出現したのが大物主だ。
大物主は大国主の分身的なやつでは?そう、大国主の前に自らの分身が現れるのだ。「自分を大和の東の山に祀ってくれれば、国づくりに協力してやるぞ」というのである。自分に。
古代神話は超理論だから深く考えない方がいいです。そうして大物主を祀ったのが大神神社のはじまりだ。
ところで、酒屋さんの軒先に杉玉が吊るされているのを見たことがあるだろうか。
大神神社に祀られる大物主は、酒造の神でもある。そして杉玉は、三輪山に生える杉にちなんで、杉を玉にしてつるしたものだ。
茶色の枯れた杉玉から、青々とした新しい杉玉に吊るし変えられると、その年の新酒ができたという意味である。今回、昇殿参拝して三輪さまにご挨拶にできた。
また、お寺の写経のように大祓という祝詞を書き写す「写典」をした。時間が無く大祓全文を書く時間がなかったので、持ち帰って書き上げ、後日郵送するつもりだ。
おみくじを引くと、大吉だった。
また参ろう。
蔦屋書店のブックイベント
梅田の蔦屋書店で
「北上次郎 × 杉江由次 2018年のエンタメおすすめ本 今年読んで面白かった本をどどーんと紹介」という対談イベントに参加してきた。
と言っても私は大して読書家でもなく、北上次郎さんのお名前も知らなかったのだが、お世話になっている方にお誘いいただいたので、参加することができた。
北上次郎さんは『本の雑誌』の創刊メンバーで、書評家として有名な方だ。
私も『本の雑誌』という名前は知っている。パラパラと立ち読みしたことも、あるような気がする。北上さんはざっくばらんな語り口だった。
対談相手の杉江由次さんは、この『本の雑誌』ただ一人の営業マンで、「炎の営業」という異名で有名だ。
どんなオラオラした人なのだろうと勝手に想像していたのだが、落ち着いた物腰の柔らかい方だった。本に対する熱意は炎の如しなのだろう。
対談のテーマは、今年に出た面白い小説だった。
北上さんは専ら自宅で小説を読み、書評の原稿を書く毎日らしい。
以前は電車中で本を読んでいたそうだが、その取り組みがすごい。もし電車の中で新しい小説を読み始めて、つまらない作品だったらそれから暇になってしまう。だから前日に2冊ほど面白そうな本にあたりをつけ、20ページほど予習をしておくそうだ。
年間数百冊以上読み破る2人の対談を聞いて、「小説って面白いんだなあ、もっと読みたいなあ」と思った。
2人の話を聞いて、これは読もうと思った本は、高橋克彦の『炎立つ』・『火怨』・『天を衝く』の三部作だ。
実はこれは今年の作品ではなくて、今村翔吾の『童の神』という本の話をしているときに、似たテーマの作品として紹介されていたものだ。
この三部作は、岩手県出身の作者が東北を舞台にした歴史物だ。アテルイと坂上田村麻呂の戦いや、前九年・後三年の戦い、奥州藤原氏、戦国時代を描いている。
北上さんが『炎立つ』を読んだきっかけが面白い。
炎の営業杉江さんが飲み屋でおっさんに話しかけられた。このおっさんは杉江さんに「北上さんに薦めといて!」と、なんと2時間も『炎立つ』シリーズの面白さについて語りまくったそうだ。
杉江さんがこれを伝えたところ、北上さんは「いやいや2時間はありえないでしょ」と言いつつ、そこまで言うならとたまたま本の雑誌社に置いてあった『炎立つ』を読み始めた。
そうして飲み屋の出会いから読み始めたのだが、「これはすごい!!」と三部作を読みきったそうだ。
テーマも興味があるし、読むと元気が湧いてくるそうなので読んでみたい。
また東北の歴史を蝦夷視点で描いた作品と聞いて、有名な偽書である『東日流外三郡誌』に影響を受けているのではないかと思った。
「つがる そと さんぐんし」と読む。
少し調べてみると、予想は当たっていたようだ。
天津神を主役とした記紀神話のアナザーストーリーとして、1970年代に「発見」されたものだが、一時期はかなり真剣に考察された。
発見者の和田喜八郎曰く、「家を改築中に天井裏から落ちてきた」ものだ。ウケる。
偽書との評価断定された今でも、関心を持つ人は多い。まつろわぬ民として虐げられてきた東北の視点で描く物語は、なんにせよワクワクするものがある。
誇り高き敗者の物語があってほしいという思いが、東日流外三郡誌の居場所を作り出すのだろう。
やや離れるが、ネイティブ・アメリカンや、アルジェリアなどの植民地を想起した。
文化人類学や構造主義といった、勝者によって編まれた歴史の絶対性への疑問。
そうした世界的思潮の中で東日流外三郡史も捏造されたのだろう。1970年代という時代も納得だ。
安倍晋三の父で政治家の安倍晋太郎が、先祖のルーツを調べたことがある。
信憑性はさておき、安倍家は安倍貞任で有名な奥州安倍氏がルーツだとしている。
晋太郎が家政婦に安倍家のルーツを調査させたところ、先祖安倍貞任が祀られる神社として青森県にある石搭山 荒覇吐神社(せきとうざん あらはばき じんじゃ)がつきとめられた。
安倍晋太郎は、首相を目指し自民党総裁選に出馬した際、晋三含め家族で同社に参った。
しかし実はこの石搭山荒覇吐神社、東日流外三郡誌の発見/制作者の和田喜八郎が1980年に創建した神社であった。
また社宝の安倍頼時の骨とされるものも、クジラの骨と鑑定されてしまった。
この安倍頼時は、前九年の役で蝦夷を率いて源頼義と戦った武将で、奥州藤原氏の初代藤原清衡の祖父でもある。
かなり脱線してしまったが、有名な偽書や安倍晋三首相とも絡みのある『炎立つ』、俄然読みたい。
そのほか、対談で薦められていた小野寺文宣の『夜の側に立つ』を買った。
高3でのバンド、その後のそれぞれの人生を描いた小説。
私も中高でバンドを組んでいたので興味を持った。
それから、イベントに来ていた翻訳者の吉澤康子さんが訳した『コードネーム・ヴェリティ』も買った。
第二次大戦下、ナチスドイツに捕まったイギリスの若き女スパイを描いた作品だ。
積ん読が増えてしまった。
グッゲンハイム邸のこと
私の住んでいる塩屋という町に、グッゲンハイム邸という洋館がある。
今から100年ほど前からそこに建つグッゲンハイム邸(通称、グ邸)は10年ちょっと前、解体の危機にあった。
それを塩屋出身のステンドグラス作家が保存のために買い取った。今では音楽イベントのイベントスペースとして活用されている。
その試みが始まった当時、私は中学生だった。
地元のミュージシャンや音大出のクラシック奏者、海外のニッチなミュージシャンなどが来ていたのだが、最近塩屋に戻ってみて驚いた。
今では関西では名の知れたライブ会場になっているようで、私も名前を知っているビッグネームがライブを行うまでになっていたのだった。
たとえば、クラムボンのボーカルとして知られる原田郁子。元キリンジの堀込泰行、大友良英、ハナレグミ、YMOの高橋幸宏、tofubeats、u-zhaan、七尾旅人、青葉市子、大森靖子、stuts、テニスコーツなどなど。
なんとなく方向性がわかる。空気間のあるアコースティック調の質系の音楽という感じ。私はこういう系が好きだから嬉しい。
もともとグ邸は建築そのものやロケーションも魅力的だ。しかし、どんどん有名になっていく今のグ邸の地位は、グ邸の管理人である森本アリさんのこつこつとした活動の積み重ねの結果だと思う。森本アリさんは、グ邸を買い取ったステンドグラス作家の息子さんだ。
先日神戸の元町・三ノ宮界隈のレコードショップを巡ると、どこにでもグ邸のイベントカレンダーを置いてあって驚いた。
このグッゲンハイム邸という洋館は、今から100年ほど前に貿易商のグッゲンハイム氏がこの塩屋の地に立てたものだ。
その後は竹内油業という神戸の会社が買い取り社員寮として使っていたこともあるそうだが、近年は荒れるがままになっていたのだった。
塩屋の海辺にはにはかつて異人館が並び経っていたのだが、戦災、線路拡張、震災、世代交代による売却などで次々と無くなってしまい、残るのは数軒のみだ。
年前にはジョネス邸という和洋折衷の面白い洋館が残っていた。
持ち主だったジョネス家から、最高裁判事を務めた裁判官が買い受け、さらに線路拡張を避けるためわざわざ移築して保存していた。
しかしその後、判事の相続人からデベロッパーが買い取りマンションとなってしまった。当時私も慣れ親しんだ洋館が壊されるのを見て、悲しかった。
ただ一概にデベロッパーに売るのが悪いというわけではない。築100年に迫る洋館を維持する管理費は大変なものだろうし、税金も安くない。また自分の子供に相続する際には相続税も随分かかるのだろう。
自分が近くに生まれ育ったのでなかったら、そこまで思い入れもないだろうし、まとまったお金にかえてすっきりしたいと考えるのは当然だと思う。神戸市か兵庫県に買い取って保存するだけの予算があればと思った。
このジョネス邸についても、グ邸管理人の森本アリさんが中心となって保存活動が行われていたが、デベロッパー側との交渉は実らなかった。
中国人と将棋会館に
知人の中国人留学生が、千駄ヶ谷のの将棋会館に行きたいらしい。付き添いを頼まれたので、行ってきます。将棋分からないんだけど、まあいいかな。
彼は中国東北地方の瀋陽出身で今東大の院で政治学を勉強しているらしい。
中国と日本のどちらで研究者になるか考え中だそう。待遇は中国の方がかなりいいらしいけど、研究分野が分野だけに自由な研究ができるかどうかもあるので。
一階がお土産品フロアです。彼に話を聴くと、将棋好きでアマチュアで相当な腕前の友達に、誕生日プレゼントを買いに来たらしい。本人は将棋できないとか笑
何を買ったらいいか迷っていたので、羽生善治の「知」という字が焼き付けられた湯のみを勧めておきました。800円くらい。
扇子と湯のみで迷いました。
扇子は有名棋士の書が印刷されたもので、2000円くらい。
プレゼント相手の好みの棋士は分かりません。扇子は対局中に扇ぐことを考えると、好きでもない棋士の扇子は雑念が入るので良くないと思いました。
なので、家で普段使いできる湯のみの方が失敗がないかなと思いました。湯のみにも3種類ほどあって、その中でも羽生善治のものを選びました。
将棋指す人で、羽生さんを嫌いな人っていないと思うので。
彼には選ぶの手伝ってくれてとっても感謝されました。嬉しいです。
将棋会館の目の前に、鳩森八幡神社という神社があります。けっこう有名な神社なのですが、富士塚というので有名です。
富士塚というのは、ミニチュアの富士山です。江戸時代、富士山への信仰が流行した時に、なかなか富士山までは行けない。そこで富士山の岩を据え付けた小高い塚を作り、そこを登れば富士登山と同じご利益があるということになったのです。
かなり前から行ってみたかったので、鳩森八幡神社の富士塚に登れてよかったです。
ところで、この時ぼくは神社や富士塚でも柏手を打ってお参りしたかったのですが、しませんでした。中国人の友人と来ていたからです。
神社にお参りすることはあまりしたくないと内心思っている中国人もいます。彼は長いこと日本で暮らしていて、とても親日なので大丈夫だとは思いますけど。
追記
湯のみをプレゼントした相手が羽生さんのファンらしく、僕が勧めた湯のみがドンピシャだったみたいです。めっちゃありがたがられました。ぼくは今中国語を勉強してるので、お返しに中国語なんでも教えてくれるとか。やったね。
ギターを手に入れよう!
こんにちはー
最近家にいるときはずっとアコギを弾いてます。自分が思ってた以上にギターが好きみたいです。
今弾いているギターは実は去年の秋頃から知人に借りているもので、返すことになりました!今まで貸してくれて本当に感謝です。
今借りているのはヤマハのFS-720Sというアコギです。小ぶりなボディなのもあり、とても弾きやすいです。このギターのおかげで、自分がエレキギターよりもアコギの方が向いていることがわかりました!
さて、いまのギターを返すことになったので、新しいギターをゲットしようと思います。そして次のギターは、弦がナイロンのギターを考えていす。
弦が鉄の、いわゆる普通のアコギ(フォークギターといいます)ではなくて、弦がナイロンの弦のギターです。
ナイロン弦のギターは、クラシックやフラメンコ、ボサノバなんかに主に使われます。昔は弦がナイロンではなくて、動物の腸(ガット)で出来ていたので、ナイロン弦のギターをガットギターともいいます。
自分のキャラクターや音楽の方向性を考えた時に、普通のアコギをピックでジャキジャキと弾くよりも、ナイロン弦のギターをポロンポロン爪弾く方が性に合っていると思ったのです。