就活は割り切り

自分の素をさらけ出して、理解してくれるところで働きたいという思いがある。

しかしそれは傲慢な願望だ。

 

あるがままの自己でなく、相手の求める人物像にパッケージングしなければならない。そんなことは分かりきっていたが、面接で嘘八百並び立てているうちに、やっぱりそれしかないなという気になった。

 

面接は嘘つきコンテスト会場でしかない。

 

昨日読んだはてな匿名ダイアリーの記事がその点について面白いことを書いていた。

 

隠れゲイは就活にものすごく強いのかもしれない、という話

 

ゲイがカミングアウトすることは容易でない。ゲイは家族や周囲に嘘をつき続けて生きている、嘘つきのプロだ。嘘をつかざるを得ない状況に、追い込まれて生きているのだから。

 

そんなゲイが嘘つき大会の就活に出向けば無双するのは当然か。

 

ひとこと

・グランフロントという商業ビルにきた。北関と南館が並び立っていて、東京丸の内の丸ビルと新丸ビルに似てる。

 

・グランフロントで東南アジア系の男性に道を尋ねられた。カタコトの日本語で話していたので、英語で答えてあげると助かったっぽかった。グランフロントの中のソフトバンクにいきたかったようだ。

ひとこと

・ここ数日調子が悪いと思ったら、コンサータ飲んでないだけだった

 

・ラインモバイルのSIMカードを受け取った

 

・スタートアップに勤めている昔の友人と会った。何かに本腰をいれて取り組むか、継続的にフィードバックをくれる人にいろいろ質問してもらうのがいいとアドバイスをもらった。

 

・理事会に出た。御殿下に書類をだした。

 

・気分が落ち込む。副作用のせい

 

 

 

 

 

 

お好み焼きを食べた

先月一緒に官庁訪問した友達と会った。

新宿でお好み焼きを食べた。

 

彼とは第1クールの初日を一緒に回った。第1クールに回った3つは全てだめだったらしい。しかしその後、なんと第2クールの3日目に突撃した、財務省の某外局に内定したらしい。

 

財務省の本省より圧倒的に立場が弱くポストもないし、官庁ヒエラルキーの中でも高くない役所なので今も少し悩んでいるらしい。最終的に行くだろう、とは言っていたが。

 

ポストは財務省本省の課長が最高らしい。課長になれなかったら、地方の出先機関にいくとか。ポストがないからと言って転職も難しい。

 

そもそも、公務員は転職が難しい。民間企業で必要なスキルが身に付かないからだ。官僚の仕事は法案作成と、予算調整だ。民間企業では法律なんて作らないし、国会対応もない。民間企業でも法務はあるが、官僚が強いのは行政法で、民間企業で必要な民事法は弱い。

 

 

 

 

ファシリテーターの研修

友達の紹介で、とある団体で高校生のワークショップのお手伝いをすることになりました。

ワークショップの指導する人をファシリテーターというらしいです。

 

今日はファシリテーターの研修にいきました。5人のグループで、「高校の科目に付け加えるべき科目とは」といったお題で議論しました。その議論の舵取りを行う練習なのですが、これが案外難しい。

 

練習ということで、ファシリテーター以外の人は高校生役をします。その際、「積極的だが的外れなことを言う」とか、「やる気がなく発言しない」などやっかいな役を演じます。

たとえば、積極的な的外れ君はスマブラを高校の科目に加えるべきという主張にこだわったり、やる気ない子は全然喋ってくれません。

 

スマブラのような意見に対しても、それを否定することなく、スマブラで何を学べるのかといった要素(協力プレイなど)を取り出してきて、それを生かす方向に議論をもっていきます。

絵を描きたい

絵を描きたい。少し。

身の回りで絵を描く人が多いから、僕も絵を描く人になりたいなあと思う。

ただ、「これを描きたい!」という自分の内なる欲求はなく、人の影響でしかないのだが。

 

小さい頃から、絵はあまり上手くなかった。小学生のころは、お茶犬とかポチたまの絵をよく落書きしていたが。

 

思えば、中高の美術の授業を最後にもう一生絵を描かない人も多いんじゃないか。

 

絵よりも工作が得意だった。高校の美術の成績は悪かったが、コラージュの時だけは褒められた。

 

学校の授業では、お題を与えられても「好きな絵を描きましょう」と言われることが多い。いきなりオリジナル絵を描くのは普通無理だ。

 

今日はピカチュウの絵を模写した。高校の美術の時間以来、絵など全く描いてないが、思ったより描けた。ポケモンの造形は好きだ。

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「どーせ死ぬ」と考える

「死にたい」とか「消えたい」とか頭によぎることもあるものだ。しかし本格的に自殺するほどでもない。死ぬのは不安だし、他人に迷惑をかけるのもどうかと思ったり。

 

今までは、「自殺するくらいなら、死んだ気になって何もかも捨てて頑張れば何か成し遂げよう!」と考えることにしていた。でもなあ、死んだ気になって頑張るなんてなかなかできません。

 

そこで、「死にたい」と頭に浮かんだ時は「どーせ死ぬ」と思うことにした。わざわざ自殺しないでも、自殺する行動力がなくても、寿命が来て死ぬのだ。生き物とは便利なものだ。自然の摂理はかつて生きた人々を誰一人見逃すことなく皆殺しにしてきたのだ。

 

自分は「どーせ死ぬ」と思えばいい。嫌なこと、苦しいことをなんとかしようと頑張らなくてもいい。早く死なないかなぁと思ってればいい。今日すら余生だ。

 

どーせ死ぬのは自分だけではない。以前迷惑をかけた人、苦々しく思っている人、電車に乗っている全ての人も、どーせ死ぬのだ。彼らもまた棺桶に片足を突っ込んでいるどころか、棺桶にすっぽり入れられ蓋をされ地面に埋められて土もかけられ墓標すら立っている。もはや死んでいるかは誤差の範囲だ。

 

どーせ死ぬ「ほぼ死人」に対して何をしても自責の念を持たなくていい。

 

上司や面接官が嫌ならば、彼らの頭に赤い数字を浮かべてみる。50代なら、30。彼はあと30年で死ぬので気にしなくていい。30×365×24×60×60秒後に死にます。

 

そして自分もどーせ死ぬので気楽だ。