一発逆転思考

今日まで全ての音信を取らなかったのですが、おばあちゃんと伯父さんがゲリラ的に自宅に来てくれたお陰で、再起動するきっかけがつかめました。

 

電話を取らずLINEに返信しなくとも、「こんなことはいつまでも続けられない…!」と常に思っています。

 

それでもなかなか連絡できません。「一度に全部返信しよう」という僕の中の考えが、返信のハードルを上げています。

 

一日に母親だけとか、一件ずつこなせばもっとやりやすいと思います。

 

「困難は分割せよ」とデカルトか誰かが言ってましたが、問題は僕の「一発逆転思考」が根っこにあります。

 

なぜ、自分が問題を分割して考えずに一度に全部こなそうとするのか。

そこには、物事すべてが相互に絡み合っているという価値観がありそうです。仏教の縁起説や複雑系、相互依存みたいな感じです。

 

「限られた問題だけを対象にした分析は現実を捉えていない」そういう僕の態度はたしかにある意味一番正しいのかもしれません。

 

しかしそれは、単に自分が物事を分割し、問題を分析する能力が低いだけでしょう。もっと上手い人がやれば、ほとんど問題が生じない程度に上手く分析できると思います。

 

さらに、僕の一発逆転的な、思考は、自分が行動を起こさない言い訳にしている相互依存的な価値観にも、実は反しています。

 

数多くの問題が相互依存的に絡み合っているとしても、現実に起こせる行動は1つずつ。一発逆転といっても、問題解決のプロセスを一つ一つこなしていくのに違いはありません。ただそれぞれのプロセスの間に時間差をあけるかあけないかの違いだけです。

 

さらに、問題が相互依存的に絡み合っているのだとしたら、問題をとりあえず一つ解決することは他の問題を解決する呼び水となるでしょう。

 

音信不通の時、友達Aに返信せず友達Bだけに返信したとして、友達Aから責められることがあるとは思えません。

 

これが借金のような話だと、「Aに返したんだったら俺にも金返せ!」とBがいって来ることもあるかもしれませんが、連絡といった人間関係ではありそうにない話です。

 

むしろ、Aに連絡を返したことで、Bにも連絡を返しやすくなるように思います。

 

つまり数多くの問題が絡み合っていると考えても、一つの問題に取り組んでみることは、むしろ他の問題解決を容易にする効果があると考えて良いと思います。

 

 

以上、「LINEの返信は全て一度にしなくてはならない」といった一発逆転的な思考について考えました。

 

まず、それは問題の分割が苦手なことによる逃げであること。

次に、一発逆転は問題解決のプロセス間の時差が小さいだけであって、実際は問題全体に同時に取り組むことはできないこと。

最後に、問題が相互に影響すると考えても、一つの小さな問題を解決することは他の問題解決をむしろ容易にすること。

以上の3つです。

 

こう考えて、少し楽になりました。返信できてないあの人やあの人に連絡しようと思います。