荒祭宮・子安神社・饗土橋姫神社

前の記事で述べたように、伊勢の神宮は125の社から成り立っているわけだが、訪れた中で特に印象に残ったいくつかの社について書く。

荒祭宮(あらまつりのみや) 内宮別宮 

神宮に14存在する別宮でも筆頭にあげられる存在である。その祭神が、内宮の祭神天照大神の荒魂(あらみたま)であるからである。

自然は人間に様々な恩恵をもたらしてくれるが、時として津波や雷など人間に非常な災厄をももたらす。もともとアニミズムに端を発する日本の神道においては神々は自然と相似形であり、アブラハムの宗教のように善なる神と悪なるサタンとはっきりと分かれてはおらず、神々も時として荒れ狂い、災厄をもたらす。

このように二面性をもった日本の神の優しく人間に恩恵をもたらす側面を和魂(にぎみたま)と呼び、大地や人心を荒廃させる荒々しい側面を荒魂と呼ぶ。

荒魂は畏れを抱かせるが、そのエネルギッシュなあらみたまは新魂(あらみたま)でもあり、新たなものを創造する力も持つ。

 

この荒祭宮は天照大神の荒御霊を祀っており、内宮正宮とは違い個人的な願いも許されるとされている。

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また、式年遷宮は今ある社殿のすぐ横に遷座地がとってあり、今鎮座する場所とその遷座地を20年ごとに右へ左へと移るわけだが、一度にすべての社殿を建て替えるのではなく正宮から格の高い順に新しい社殿が建てられ、神が移っていく。

そしてこの荒祭宮は別宮筆頭であるから、私が参拝した時には既に新社殿が完成しており、あとは御祭神が移るのを待つだけという状態であった。祭神が坐す古い社殿(写真左)は黒くなり、茅葺きの屋根には苔も生している一方、

 

その横の新社殿(写真右)はヒノキの真っ白な木肌が美しく、神社にしては綺麗すぎて違和感すら覚えるほどであった。左右に新旧並び立つ様は、20年という月日を具現化したようであり、モダンアートのようにも思えた。

 

子安神社(こやすじんじゃ) 内宮所管社

内宮の境内にひっそりとたたずむ、そう大きくはないお社である。

子安神社の祭神は木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)であり、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻である。子安神社のすぐ横には大山祇神社が鎮座している。ここでは木花咲耶姫の父神であり山の神として知られる大山祇神(おおやまつみのかみ)が祀られており、隣り合って親子で祀られていることになる。

娘の木花咲耶姫は山の神の娘とあって富士山の神として全国の浅間神社で祀られており、また桜の神としても知られる。それに由来してここの手水鉢は桜の形をしていてとても可愛らしい。

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また木花咲耶姫瓊瓊杵尊とであって一夜で懐妊したため瓊瓊杵尊に疑われ、誠を証明するために産屋に火を放ち、火中で三柱の子を産んだ。無事に生まれたために子安神社という社名がつけられ、現在は安産、転じて良縁祈願に参拝に来る者がおおいようである。

小さな鳥居に願い事を書いて奉納するという民間の風習が行われており、伏見稲荷で見た光景を思い出した。(伏見稲荷でも小さな鳥居に願い事を書いて奉納する風習がある)

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饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ) 内宮所管社

祭神は宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)。そのままである。

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宇治橋は神域と俗なる領域を結ぶものであり、この神が悪しき者が宇治橋を渡って神域へ侵入しないように守っているのである。宇治橋式年遷宮の4年前に先んじて架け替えられることとなっているが、その守り神であるこの社も同時に新しくなるので唯一正宮よりも先に社殿が新しくなる。つまりここの社殿は今年で築4年で、白く美しいが適度に月日を感じさせた。

所管社であるにも関わらず、このように重要な社であるため、鳥居も特別である。

神宮においては鳥居の大きさでその社の格がわかる。

鳥居の水平な木を上から笠木、貫というが、神宮の所管社の鳥居は身長170センチ程度の人間が手を伸ばして笠木に手が届き、末社の鳥居は貫の上端に届く程度の大きさで、摂社の鳥居は貫の下端に届く程度の大きさだ。別宮になると貫にも届かない。

さてこの饗土橋姫神社は所管社であるのだが、鳥居が別宮並みに大きく、それだけ重要視されているということになる。

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