伊勢の神宮について

 伊勢の神宮は、内宮と外宮の二つの正宮の他、14の別宮、42の摂社、24の末社、42の所管社を有し、神宮はこれらの総称でもある。

 

神宮の歴史を簡単にまとめると以下のようになる。

天照大神が岩戸に隠れた時に作られ、天照大神自身の神霊が宿っているとされる八咫鏡(やたのかがみ)が神宮の神体である。

この神鏡は天孫降臨の際に天照大神から地上へ遣わされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられ、瓊瓊杵尊から初代神武天皇に、さらに歴代天皇へと伝えられ宮中で祀られていたが、神威を恐れた第十代崇神天皇の命を受け、紀元前92年に皇女 豊鋤入姫(とよすきいりびめ)によって鏡は宮中から大和国の笠縫村という地へ移された。

 

さらにその後、第十一代垂仁天皇の皇女 倭姫(やまとびめ)が役目を引き継ぎ、鏡を祀るのに最もふさわしい地を求めて鏡とともに近江、美濃へと旅を続ける。

そしてついに紀元前4年、伊勢の地に到って天照大神から「ここに鎮座しよう」という神託が下り、現在の場所に皇大神宮(内宮)が造営された。

内宮創建から500年ほどたった478年、第二十一代雄略天皇に「丹波国から食事の神である豊受大神を呼び寄せるように」という天照大神の神託が下り、ようやく豊受大神宮(外宮)が創建された。

 

伊勢神宮が最も尊い神社とされるのは、皇祖神にして最高神である天照大神をその神霊のこめられた八咫鏡とともに祀っているからに他ならない。

 

古事記日本書紀、止由気宮儀式帳などの記述による。西暦は感覚的理解のために天皇在位年から機械的に計算したものであり、史実と合致するとは限らない)

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太陽神である天照大神を祀る内宮では、太陽の領分である朝の訪れを告げる鶏が、神の使いとして境内で飼われている。